夜の帳に包まれた住宅街は、とても静かだ。キャッキャッと高い声を響かせながら笑っていた子供も、いつしか眠りの魔法へと吸い込まれていく。
小さな天使の寝顔。
白いふっくらとした頬に、キスを一つ落として。
彼は、子供部屋の灯りを消した。




「あ――寝た寝た。アスラン、寝たぞぉ〜」
ディアッカが居間へ入って行くと、そこには夕方からここに来ているキラしか居なかった。
「あれ?お嬢様二人は?」
「ラクスは洗い物で、メイリンはお風呂中」
「・・・ふ〜ん」
テーブルを挟んでキラの正面に座ると、ディアッカは両腕を伸ばす。瞼が重く感じるのは、アスランと一緒にいつもよりも長い時間、入浴していたらというのもあるが、完全なオフでもある。緊急な召集でもあれば話は別だが、のんびりと していても誰に咎められることもない。だからというわけではないが、欠伸も出やすい。ふわぁと大きく口を開けば、キラが笑った。
「眠そうだね。アスラン相手だと、疲れるでしょう」
「ははは・・・。アイツは元気だかんなぁ。つーか、完全なオフだから、気が抜けてんの。仕事のことを考えなくてすむ!正に天国!」
「・・・なるほど。今回はイザークさん、休みじゃないんだね」
「来月の定例会議が終わったら、休み取るってさ。お前も今日、大学だったじゃん。大学の先生も忙しいねぇ」
「まぁね。生徒には頑張って単位を取ってもらわないと、こっちも困るよ」
肩をすくめるものの、纏う空気はどこまでも穏やかだ。
「ラクス嬢のピアノ教室も順調だってな。いいことだ」
「そうだね。頑張ってるよ、彼女・・・」
ピアノ教室―――。それは、ラクスがまだ一歳にも満たないアスランと、この家で暮らし始めたときから、決めていたようだ。当初はラクスの亡くなった父親の遺産を、少し切り崩して生活に当てていたが、出来るだけ早く自らの手で収入を得たいと、手作りの チラシを作ったり役所へ申請したりと、忙しなく動いていた。「ラクス・クライン」の名の力が、まったく無かったわけではない。最高評議会がある首都プラント群とは遠く離れていても、その名の影響力は強く残っている。停戦を呼びかけた歌姫はもういないが、過去は過去として存在する。一度プラントを 離れて地球に降りた彼女は、再び故郷の地を望んだ。プラント政府からの正式な許可が下りるのに多少の時間を要したが、それは今後、彼女が施政に関わるのか関わらないのか見定めていたこともある。彼女はもう、プラントの歌姫でもなく、そう呼ばれることもない。多くの市民の一人として生きることを決めている。ならば、その彼女が求める ものを、プラントが拒否する必要はない。首都と遠く離れた農業プラントで、ピアノ教室を営むかつての歌姫は、どこにでもいる普通の女性だ。
そして、キラ・ヤマト。
ディアッカの友人である彼が、このプラントの大学の教壇に立つようになって、三度目の夏だ。いつの間にか伸びた身長と、意外にも筋肉質な体。誰とでも気さくに話をする社交的な性格。もちろん顔も二重丸。要するに、イイ男条件をクリアしているようで、大学内では女生徒から熱い眼差しを向けられていると聞く。
農業プラントだけに、農業関係の研究所は多いが、大学は所謂総合大学だ。キラはその中で、工学部の教鞭を執っている。フリーダムのパイロットだった頃の厳しさは、微塵も感じられない。
小柄だった少年は、いつしか気持ちに余裕があり、包容力の大きさを身につけていた。泣き虫で甘ったれという影は消え、今は落ち着きのある青年だ。
「・・・ピアノ教室も大変なんだろうけど、大学の先生も大変だねぇ。てかさ、お前さんが大学のセンセなんて、アイツが知ったら驚くだろうな」
「そうだね。ちゃんとやってるのかって、心配されそうだ・・・」
キラは棚の上に置かれている写真を視界に入れる。そこの写る幼なじみへと小さく笑む。彼がこのコロニーに居住を構えたのは、二年半ほど前のことだ。
アスランとミーアを襲った不幸と、残された子供。ラクスが彼らの子供を、引き取り育てると決めたときも。ディアッカたちが彼女への協力を惜しまないと約束し、みんなで幼子を育てようと決めたときも。
キラは―――何も言わなかった。
周囲も彼らの深い関わりを知っているだけに、ショックは人一倍大きいのだろうと思ったのだが、そうではない。
キラにとってアスランは。
幼なじみであり、親友であり、とてもとても大好きで誰よりも大切な人。が、幼なじみは、あまりにも静かに逝ってしまった。
彼に良く似た子供。髪の色も瞳の色も彼より少し薄いものではあるが、良く似ている幼子を見ていると、どうしても眼の奥が熱くなった。同時に、幼子と彼を重ねてしまい、彼のように見てしまいそうで怖かったのだ。
気が抜けてしまったというよりは、大切な半身を失って心に大きな穴が開いてしまった、といった方が正しい。二度目の終戦の慌しさだけが残る中での、突然すぎる別れ。当時キラは、モルゲンレーテ社でプログラムの技術者として働いていたが、 幼なじみがもういない現実から眼を逸らすように、仕事を生活の全てにしていた。
そんなとき―――。
一つの話が、キラへと持ち込まれた。
L3コロニー群にあるプラントの大学が、工業の教員に相応しい人をモルゲンレーテ社から選びたい旨の連絡があったと。 エリカ・シモンズに呼ばれ、彼女から渡された資料を眼にして、キラは驚きを隠せなかった。偶然ではあるのだ。今期で辞めてしまう工学部の教員の後任を捜している大学は、キラの幼なじみが暮らし、今は幼子とラクスの暮らすプラントにあった。
彼女がキラに意図して話したことだったようだが、まるで「彼」に呼ばれたと思わずにはいられなかった。彼が呼んでいる。呼んだのだ、と。
自分の勝手すぎる、都合の良い解釈だと分かっている。それまで、幼子とほとんど接することはなかった。何故なら、幼なじみそっくりだといっても過言ではない子供を前にして、平常心でいられる自信がなかったからだ。
本当は。
ラクスではなく、自分が幼子を育てると言いたかった。二人だけで、どこか遠くひっそりと暮らしたいと。けれど―――。
きっと自分は、幼なじみ自身を小さな子供に重ねてしまう。幼なじみはこうじゃなかった、そんなふうでもなかったと、違うところを見つけては、自分だけが知っている「彼」を求めてしまう。そういう怖さがあった。だからキラは、幼子と距離を置いた。己の内にある醜さを、隠すために。
しかし、会わなければ会わないで、愛しさは深まりはしても、薄れることはない。会いたいという素直な気持ちに従ってもいいだろうかと迷っていたときに、エリカからの話が舞い込んだのだ。「呼ばれた」と思いたくもなる。
「彼」と離れられるはずはないのだ。それはキラ自身が、一番良くわかっている。
だって―――愛しているのだから。
今も、愛している。唯一無二の存在。それでも擦れ違いは起きてしまう。ほんの少しの、感情の擦れ違い。その擦れ違いを残したまま、彼は逝ってしまった。淋しげな笑みを浮かべた姿は、瞼の奥に焼きついたまま。
ごめん、という謝りの言葉がもう届かないからといって、何時までも心に開いた穴を引き摺っているのは、自分の甘ったれた勝手な弱さだ。
「彼」は「彼」。「幼子」は「幼子」。
彼の血を受け継いでいても、どんなに似ていても、彼らは別人。当たり前のことを自分に言い聞かせて。
ならば、その幼子に対して、後悔をするようなことを繰り返さないために、近くにいたい。近くで、護りたい。もしかしたら、彼が巡り合わせてくれたのかも知れないエリカからの話に、キラは頷いた。
彼が見ていた景色を、眼に映し始めて二年が過ぎる。足取りの危なかった子供も、今年から幼年学校だ。キラと「彼」が初めて出会った年齢と、同じになった。子供特有の高い声と翠の瞳を向けて、「お仕事、たいへん?」と首を傾げ訊いてくる仕種は、かつて彼が母親に言っていたことと同じだ。彼の母は、農業研究者という多忙な身であった。彼が 母親に向けていた気遣いが、今は幼子によってラクスとキラに向けられている。親子だな、と思う。
キラは眼元を和らげ、写真から視線を外す。正面に座るディアッカを見れば、彼もいつの間にかキラと同じものを眼に入れていた。そこには、何か物言いたげな色が浮かんでいる。どうしたのだろうと問いかけようとしたとき、居間の扉が開き、ラクスとメイリンが入って来た。ラクスは手にトレイを持ち、その上には冷たい飲み物が注がれたグラスが、四つ並んでいる。カランと、氷の涼しげな音が流れた。
「アイスティーをお持ちしたんです。どうぞ、お飲みになって下さいな」
「サンキュー。でもそんなに気を遣わなくてもいいのに」
「こちらこそ、アスランの相手をして頂いて助かりますもの。今日はディアッカさんから離れませんでしたし、疲れましたでしょう?」
「ははは・・・。それ、キラにも言われた。まぁ、完全に俺が遊んでいるだけだからなぁ。アイツが喜んでくれれば、こっちは大満足ってね」
「ふふ・・・。充分喜んでいますし、楽しくて仕方ないって顔をしてますよ」
「ですよねぇ〜。アスランってばディアッカさんにベッタリなんだもん。私、ちょっと妬けちゃいました」
淡いピンクのパジャマに着替えたメイリンが、ディアッカの横に座りながら、少々面白くないと口を尖らせる。
「えぇ?俺ら、そんなにベッタリしてた?」
「とぉっても、ベッタリでした!私のお休みはまだまだありますから、ディアッカさんが帰ってから、ディアッカさん以上にベッタリします!」
「な・・・なんだよ。睨むなよぉ〜」
眉尻を下げるディアッカに、ラクスが微笑む。ほんの少し前の、何か言いたげな表情は、ディアッカから綺麗に消えている。そんな彼の様子に、キラは気のせいだったのだろうかと思う。が、気のせいに出来ない雰囲気を、纏っていた。訊ねるにしても、今は躊躇われる。彼女たちが休んでから、今度はちゃんと訊いてみようと頭の中にメモをした。
「昨日は一日中そわそわして、眠ったのも遅かったのですよ。メイリンが来るね、メイリンが来るねって、そればかりで・・・」
「そうなんですか!嬉しいなぁ。ホント、可愛いですよねぇ。学校でもモテまくりでしょう?」
「さあ、どうでしょう・・・。男の子の友達の話はしますけど、女の子の友達のことは、話さないですから」
「でも女の子たちはきっと、アスランのこと可愛いって言ってますよ。ディアッカさんにだって、後輩の女の子たちが、優しくて頼りになるって言うんですから。アスランは学校で、絶対にモテまくってます!」
何故か身を乗り出して力説するメイリンは、あと二十年遅く生まれていたらアスランをモノにしてみせるのに、と言い出しそうな勢いだ。アスランの比較対象とされたディアッカとしては、心中複雑でもある。
「・・・お前ね。四歳児の好きだ可愛いだのの話に、俺は関係ないっしょ」
「あら、ディアッカさんは意外とモテるんですよってことですから、気にしないで下さい」
「だから、四歳児と比べられたら気にするって!つーか、意外ってなんだよ!!」
漫才のような会話に、ラクスとキラから笑みが零れる。キラの隣に浅く腰を下ろしたラクスの髪は、今は一つに纏まってはいない。そのせいか、歌姫と呼ばれていたときの面影が、強く出ている。
不思議な光景。ディアッカは、ここに来るだびにそう思う。
自分たちの良く知るアスラン・ザラの幼なじみであるキラと、歌姫と呼ばれていたラクス。
彼らは―――恋人同士だった。
だったのか、今もそうなのか、それとも最初からそうではなかったのか、これは彼らだけが知ることで、少なくとも周囲は恋人と認識していた。歌姫には、アスラン・ザラの婚約者という肩書きがあったが、所詮親同士が決めた相手。自らが好きになった人を選んだ、ということなのだとディアッカたちは思っていた。
が―――。
彼らは良き友として、ここにいる。もちろん恋人ではない。甘い空気があるわけでもなく、寄り添うでもなく、親友という関係がそこにある。
いつの間にか周りが勝手に恋人と決め付けていたのだろうか。そういえば、付き合っているとか別れただとかいう話を、聞いたことはなかった。だから不思議だ。
あれほど恋人のように見えて、今は頻繁に会っているというのに、男と女の関係にはならない。なる気配もない。こればかりは本人たちの気持ちだから、周りが口を出すことではないけれど、不思議なものは不思議だ。
「どうかした?」
「・・・へっ?」
じっと見つめられていることに気付いてか、問い掛けてくるキラに、ディアッカは言葉を濁す。
「あ・・・いや・・・何でもない」
「本当?何か気になることでも?」
紫色の光が、下手な嘘など見抜いてしまいそうだ。ディアッカは眼を泳がせながら、ちょうどいいだろう気になることを言ってみた。
「・・・気になるっつーか、ハロ軍団を見ないなぁと思ってさ」
「あぁ、ハロなら僕が今まとめてメンテナンスしてるんだ」
キラから、ディアッカには考えられない科白がさらりと出る。
「ウソ!マジかよ!あの軍団をまとめてメンテしてんの?」
「一つも全部も同じだよ。大学も休みだし、まとめてやっちゃおうかと思って」
「そうなんですよねぇ。ハロたちに会えないのって残念」
続くメイリンの声に、驚きが増す。
「あれ?何でお前、知ってんの?」
「ディアッカさんとアスランが、外に出ているときに訊いたんです。ハロたちの姿が見えませんけど、どうしたんですかって。そしたら、キラさんのところで全部メンテナンスしてもらってるって、ラクスさんが教えてくれました」
「・・・サヨウデゴザイマスカ」
「ネイビーちゃんが時々動かなくなってしまって・・・。他の子は元気なのですけど、一つ動かなくなるとやっぱり心配になりますから、キラに頼んで全部をメンテナンスしてもらうことになったのです。アスランもネイビーちゃんをとても心配して、悪い病気が早く治るといいねって言うんですよ。まるで ネイビーちゃんの痛みが、分かるようでした」
壊れるではなく病気と言うところは、ラクスがハロたちを”大切な友達”として接している影響もあるのかもしれないが、それだけではなく、アスランの心の優しさも大きくある。愛しい子供のことを話す彼女は、やはり母親の顔をしている。他人ではあるけれど、他人ではない深い絆。だから余計にディアッカは、昼間の公園での出来事が疑問で仕方がない。

―――ラクスはぼくのお母さんじゃないよ

アスランは友達に変なことを言われていて、それをラクスに話していない。ならばそれは、母親に関係することなのかのしれない。確かに彼女は小さなアスランの母親ではないし、彼女自身がそれを子供に伝えていることだ。そして、そのことを四歳の子供が言うということは、彼の中でラクスは母親ではない位置を示している。子供なりにちゃんと理解をしているのだと 思っていたことではあるけれど。アスランはラクスを、どう見ているのだろう。逆にラクスは、アスランをどう見ているのだろう。どう想いながら、共に暮らし、成長を見守っているのだろう。
一つの疑問は、更なる疑問を生じさせる。ディアッカは柔らかくオブラートに包みならが、アスランの様子をラクスに尋ねた。
「なるほどねぇ。ハロ軍団もアイツの友達だもんな。まぁ、キラには頑張ってメンテをしてもらうとして。今、夏休みじゃん。早いよねぇ。入学してもう四ヶ月。アイツ、学校楽しんでる?てか、夏休みだし、友達と遊びまくりとか?」
「そうですね。学校は楽しいって良く言いますよ。こんな勉強をしたとか、担任の先生のこととか。でも夏休みは・・・残念なことがあって・・・」
僅かに眼を伏せるラクスは、言葉を切る。何かあったのだろうかとディアッカが言うより早く、キラが口を開いた。
「体調を崩したんだよ」
「・・・体調?マジ?」
「そう。僕もねラクスから連絡があって来たんだけど、ちょっと酷くて。今はすっかり元気になったんだけど、夏休みに入る少し前から学校を休んでて、一週間かな、ベッドの住人になってたから」
「うそ・・・。じゃあ私、無理言っちゃいましたよね。ごめんなさい・・・」
両手で口を覆い謝るメイリンは、ここへ来ることをラクスがアスランの体調を考慮しながら了承してくれたのだ、と思ったのだろう。それはディアッカも同じだ。
「あ・・・そりゃあ悪かったな。ちゃんと話してくれれば、こっちも日程ずらしたのに」
「いえ・・・。お二人が謝ることはないのですよ。本当にお気になさらないで下さい。メイリンさんから連絡を受けたときは、アスランの体調も戻っていたのです。けれど、休み前から体調を崩してしまったことがショックだったのか、夏休みだというのにずっと家の中に篭ってしまって。だから メイリンさんとディアッカさんが来て下さって、本当に嬉しいですわ。あの子も少し元気がなかったのですけれど、メイリンさんのことを話したら、とても喜んだのですよ」
「そう言ってもらえると、安心します。でも、アスラン大丈夫なんですか?そんなに大きく、体調を悪くしちゃって・・・」
幼年学校に入ったとはいえ体はまだまだ小さく、体力や免疫力は、ナチュラルの子供と何ら変わりはしない。心配の色を濃く出すメイリンに、ラクスの歯切れの悪い声が続く。
「・・・プラントと言っても四季がありますし、季節の変わり目には風邪を引くことが多くて・・・。わたくしも気をつけていたのですが、今年の春先は風邪を引くこともなかったので、勝手にもう大丈夫だと決め付けていたのだと思います」
「で・・・でも、ラクスさんが悪いわけじゃないですよ。アスランはまだ小さいんだし、子供はよく熱を出すもの。これから大きくなるんだから、風邪引くことも、熱を出すことも少なくなりますよ」
慌てたように早口で言うメイリンだが、ラクスを気遣ってのことだと充分に伝わってくる。それに応えるように、ラクスが小さく頷く。キラが近くにいるとはいっても、アスランが熱を出したとなれば、ラクスも一人では心細いであろう。こういうとき、直ぐに駆けつけられないもどかしさがある。仕方がないで済ましたくはないから、 ディアッカは少し硬い口調を搾り出した。
「今回のこと・・・アスランの体調、酷かったんだろ。そういうの、言ってくれるとありがたい。俺らに心配かけたくないのかもしれないけど、そんな遠慮はいらねぇし。やっぱ、後から分かるのって嫌じゃん。心配事っていうのは、一人で背負い込むもんじゃなくて、みんなで共有した方がいいデショ。アイツは、俺たちみんなで護るんだからさ」
「はい・・・。そうですね。ありがとうございます」
みんなで育て、みんなで護る。そうはいっても、ディアッカたちのいるプラントから、ラクスとアスランの住むプラントまでは、埋められない距離がある。しかし、直接会えなくても、通信手段は多様にあるのだ。遠慮など、しないで欲しい。何かが起きたときは、仕事など放り出して駆けつけるのだから・・・。もちろん、何も起きない方がいいに決まっているが。
「まぁ・・・ね・・・。アスラン元気になって良かったってことだよな。でも、残念。せっかくだから、家ん中より外に連れ出そうって思ってたけど、疲れさせるだけかもな」
「いえ・・・そんなことありませんわ。本当に家に閉じこもってばかりでしたから、連れ出して下さい。あの子も、疲れたら疲れたと、ちゃんと言いますから大丈夫ですよ」
「ホント?じゃあ遠慮なく、明日はそうさせてもらおうっかな」
それから暫くお互いの近況報告などをしていたが、大欠伸をしたメイリンを気遣い、ラクスがわたしたちはこれで、と二人そろって今を後にした。再びディアッカとキラだけになる。グラスの中の氷は、溶けきっていた。
「何か飲み物、持って来ようか?」
「いや・・・いいよ」
壁に掛けられている時計を見ると、針は午後十一時五分前を指していた。
「お前、明日も大学?」
「補講は今日で終わり。明日はちゃんと休みだけど、学生は夏休みでも僕らはいろいろやることがあるから、忙しいっていえば忙しいよ」
「へぇ〜。そりゃあ、ご苦労なことだな。やっぱ大学の先生は、大変だ」
ディアッカは、今この時間もきっと書類の山と睨めっこをしているであろう、親友を思い浮かべる。定例会議のこともある。大事な時期に休暇を貰った分、やはり有効に使いたい。

―――芽生えた疑問

それを解決するためには、残り二日の休暇では無理だ。先ほどまでのラクスとの会話も、アスランの様子を詳しく訊くことは出来なくて。自分のことを話すより、アスランのことを知りたいと思いながらも、短い時間は近況報告で幕を閉じた。結局、ラクスに 直接的な言葉を投げなかったことも、悪いのかもしれないが。しかし、ストレートに伝えすぎるのも気が引ける、というのが本音だ。こういうときは、味方を作るにかぎる。
「あのさ・・・」
「あの・・・」
ディアッカとキラの声が、重なった。
「あぁ・・・ごめん。なに・・・?」
「ん・・・いや、お前、先に話せよ」
ここで互いに譲り合ったところで、先に話すか後に話すかの差なのである。キラはディアッカの科白に従った。
「・・・アスランのこと、黙っててごめん。体調崩したって君たちに連絡したら、どんなに悪いんだろうって、心配すると思ったんだ」
「でも、実際、酷かったんだろ」
「・・・熱が高かったんだよね。一度は下がったんだけど、またぶり返しちゃって・・・。体調っていうか、夏風邪を拗らせちゃったから、治るまでに時間がかかったこともあるんだろうけど、随分甘えん坊になってね。ラクスに ベッタリだったよ。ホント、彼女の姿が見えなくなっただけで泣き出しちゃって、大変だったんだ」
熱のせいで赤くなった頬と、しがみ付いて来た小さな体は記憶に新しく、キラの胸がキリリと痛む。ぐったりとベッドに横たわる姿に、大きな病気ではないと分かっていても、不安が消えることはなかった。
「今はすっかり元気になったから、甘えん坊度も低くなったよね」
「なるほどねぇ・・・。病気のときは誰だって弱気になるし、アイツはまだ四歳だもんな。思いっきり甘えさせて、いいんじゃねえの。それにさ、また熱を出すことあるだろうし、怪我をするかもしれないよな。俺らは、直ぐにここに来るのは確かに難しいけど、 お前らだけで全部背負い込む必要はないし、俺らに出来ること、して欲しいことはちゃんと言えよ。てか、言って欲しいってね」
「うん・・・。分かってる。ありがとう」
素直な頷きと共に、父親が醸し出す空気がある。そう、父親だ。週末は良くここへ来て、アスランの相手をしていることを、ディアッカたちは知っている。知っているからこそ、だったらと思わずにはいられないことがある。
「・・・もしかしてさ、アスランが熱出してから、ずっとここに居た?」
「仕事以外は、出来るだけ居たよ。アスランのこともあるけど、ラクスもピアノ教室があるし、それに彼女を一人にはさせられないだろ」
当然じゃないか、という色を伴うキラに、やはり思うことは一つだ。ディアッカは、一つ息を吐いてから訊いた。
「・・・お前とラクスって、結婚しねぇの?」
「・・・は?」
問われたキラは、眼を大きく見開いて驚いている。何故驚くんだ、とディアッカは突っ込みをしたいほどだ。
「だからさ、お前ら仲いいじゃん。なんつーの、恋人って感じがすんのに、何で結婚しねぇのかなって。不思議だったんだよね。俺らから見れば、お前らの仲の良さって、恋人と同じもんだし。でもアスラン引き取ったのは、ラクスでさ。けど、 お前がここのコロニーに来たから、そんなに遠くない未来に、そういう話が出るだろうなって思ってた。なのに結婚する気配も、一緒に暮らす気配もないのな」
「・・・・・」
ディアッカが言ったことは、彼だけではなくキラとラクスを知る者なら、誰もが思っていることだ。ただ、面と向かって、それを話題にしたことがなかっただけのこと。ならば、これは良い機会だ。二度目の大戦から五年が経った今、彼らの気持ちを聞きたい。
互いの瞳を絡めたまま、暫し沈黙が生まれる。何をどう語るべきか悩んでいるようにも見えるキラが、先に眼を逸らしながら困ったように笑みを浮かべる。
「・・・君たちの期待に添えなくて申し訳ないんだけど、僕とラクスはそういう関係じゃないよ。大切な友達。恋人じゃない」
「本当に?」
「本当です。こういうことに嘘言ってどうするの?ラクスに同じことを訊いてみるといいよ。僕と同じ答えを返すから」
いつもと変わらぬ声音。動揺も迷いもそこにはなくて。しかしディアッカとしては、簡単に引き下がれない。恋人のように見えるのに、何故、恋人じゃないと言い切れるのか。ディアッカの疑わしげな視線を受けて、キラは信じてないねと苦笑するしかなかった。
「僕が言っても、説得力ないかもしれないけど、ラクスに恋心を抱いたことは本当にないんだ。僕にとってラクスは、良い友達の一人で、ラクスにとって僕も同じ。何て言うのかな、仲間なんだと思う。共に戦争を生き抜いた仲間だよ」
「・・・仲間ねぇ・・・」
「これ以上、疑われても答えようがないんだけどなぁ。それと、アスランのこと。もう時効だと思って話すけど、ラクスが引き取るって言ったとき、本当は僕がそれを言いたかった。言えなかったけどね。”アスラン”の死が、僕の中であまりにも大きすぎて、僕は彼がいないことを引き摺ったままだったから、どうしても 小さなアスランにかつてのアスランを重ねてしまいそうで、凄く怖かった。だから、今くらいの距離がちょうどいいんだ」
嘘のないキラの気持ち。彼の眼を見れば、本心だということが良くわかる。キラとラクスの間には、彼らなりの付き合い方の方程式があるのだろう。
そしてキラとアスラン。彼とラクスのことを聞いたつもりだったが、そこにアスランへの想いが続いたことに、ディアッカはお前だけじゃなくみんな同じだと思う。アスラン・ザラがもうこの世界にいないことを、誰も口にすることはないけれど、みんな引き摺っている。ディアッカは天井を見上げる。キラは、自分と小さなアスランの 距離は、ちょうどいいと言う。では自分はどうだろう?考えたこともなったから、少し息苦しくなる。キラは、自分とは全く違う想いがあり過ぎるのだろう。気楽に考えろといったところで、慰めにもなりはしない。軽くかぶりを振って、一歩踏み込んだ領域から、今度は踏み込んだ分だけ戻る。
「・・・悪かったな。余計なこと、聞いちゃって」
「嫌だなぁ〜。別に余計なことじゃないし、逆に気にさせすぎて申し訳ないよ。ホント、期待を裏切ってすみませんって感じ。で、ディアッカも何か話があったんだろ?僕らのことが、訊きたかったわけ?」 「・・・あ〜俺?うん、話しね・・・」
キラの方から話を向けられ、ディアッカは一瞬だけ「二人の写真」を見る。友と、友の傍に寄り添う女性に、心配すんなと心の中で呟いて。
「アスランのことなんだけどさ・・・」
「アスランのこと・・・?」
小さな天使のことには、誰もが敏感になる。キラの表情が僅かに硬くなった。ディアッカは、今日、アスランと共に行った公園での出来事を語った。彼にも分からない部分が多く、曖昧な表現になってしまうところもあるが、肝心なのはアスランがラクスに言わない何かを持っていることだ。
ディアッカの話しを聞き終えたキラが、う〜んと唸った。
「・・・変なことかぁ。それだけじゃ、良く分からないね」
「そうなんだよなぁ。まったく、父親に似て頑固なんだよ。ってく、似なくてもいいところが似んのな」
「はは・・・。そんなもんだよ。で、ラクスにはまだ話してないんだっけ?」
「あぁ、明日、話してみる。絶対にアスランを、問い詰めることはすんなって言っておく」
「僕もアスランには、それとなく訊いてみるよ」
「すまねぇな。よろしく頼む」
「了解」
安堵の息を吐くディアッカに、キラはそうかと納得する。アスランを寝かしつけた彼が、居間に戻って来てからのことが、頭を過ぎる。何か言いたそうな薄い紫の瞳の正体は、これだったのだろうと。
小さなアスランの、決して小さくない心の中。

歪が―――。
生まれた。





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